生きるとは?

自分が一番ダメージを受ける「基準」とは?

2021年12月30日

「世の中に絶対的なものってあるのかな?」

いつも自分に問いかけています。

自分が一番ダメージを受ける基準とは?

(画像はお借りしました)

自分の中の正義というものは絶対的なものなのだろうか?

とよく自分に問うことがあります。

私たち人間はあらゆる物事に対して「正しい」か「正しくない」かの判断をします。

「正しい」「正しくない」

「善」「悪」

この判断基準というのはどこから来ているのだろう?

これはそれぞれが社会の中で創り上げた、植え付けられた価値観からきているものがほとんどだと思うのです。

しかもほんのわずかな価値観の誤差、物事を見る角度や視点の違いだったりで「善」にも「悪」にもなり変わる。

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「基準のないことが基準」「完璧でないことが完璧」

「正しさ」というのは時代の変遷とともに簡単に変動していくものであり絶対的なものなどあるのでしょうか?

とくにコロナ禍ではSNS上でそれぞれが自分の中での善悪基準で他人をジャッジしているのを目にすることが多かった。

しかしそれによって一番ダメージを受けるのは自分自身であることを忘れてはいけない。

なぜならその他人に向けた未熟さ、欠点、足りない部分にフォーカスしているということの意味、

それは自分自身に対しても同じ目線で厳しくジャッジしていることになるから。

「まだできていない」

「これではダメだ」

と本来責めるべきポイントですらない部分を限りなく自分の中に見つけていく。

この作業は自分の中の基準で他人をジャッジする限り続いていく。

それにより自分自身を信頼できなくなる上に

永遠に自分の未熟さを感じながら生きていくことにもなる。

これは「正しい」「正しくない」、「善」「悪」という本来はない幻想の基準を自分の中に設けてしまったから。

この「基準」からしか物事を見つめることができなくなるのが自分を苦しめる原因だったりする。

人間というのは

基準のないことが基準

とし、

完璧でないことが完璧

として生きていく方が人にも自分にも優しくなれる上、生き生きと人生を謳歌できるのではないだろうか。

そもそもこの世に完璧な人間を探すことの方が困難だと思うので。

まとめ

「正しい」「正しくない」の判断基準というのはもはや「幻想の基準」と言ってもいいべきものですね。

その部分だけで人や物事を判断していくと人生が厳しい方向に行ってしまうかも。

「基準のないことが基準」

「完璧でないことが完璧」

これは自分自身を楽にしてくれる考え方です。

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